総合手芸術というジャンル
下田直子さんの名前は手芸ファンの方であればよくご存じでしょう。若い方でも名前だけは聞いたことがあると思います。1988年に手編み雑誌『毛糸だま』誌上で鮮烈にデビューした「ルビー色のニット」を思い出す方も多いと思います。
いわゆるセーターが主流だった時代に、アンティークパーツやボタンをふんだんに使った舞台のコスチュームのような仕立てのニットの登場は驚きをもって迎えられました。
「映画」があらゆるアートの領域を横断した総合芸術であるといわれるように、下田作品はどれも、あらゆる手芸技術を駆使して、手芸の枠を超えた「総合手芸」であると思います。
刺しゅうは刺しゅう家、編み物はニットデザイナー、キルトはキルト作家と専業の作家が多い中で、下田直子さんは「手芸家」と呼ぶにふさわしい唯一の存在と目されます。
編み物、刺しゅう、仕立て、とどれをとっても磨き上げられた技術が、素晴らしい仕上がりの作品へと導きます。
素材へのこだわり
これまで技術書も含めて38冊の作品集を出版してきていますが、そこで発表された作品にはどれもこだわりの素材が選ばれています。そのため、一般の手芸店などでは手に入りづらい素材も多く使われてきました。
毛糸や布や刺しゅう糸という極めてソフトな手芸材料とともに、麻ひもやたこ糸、ハードな革素材やアンティークパーツを使い合わせたり、コットンの刺しゅう糸で刺しゅうするところをウールの紡毛糸を使ったり、
ソフトとハードのバランス感覚が絶妙です。手芸作品にありがちな柔らかく甘い仕上がりになってしまうことを巧妙に避けながら、下田的世界観を形づくっています。
下田直子さんの素材へのこだわりとは、上質な高級素材を使うことではなく、「柔と剛」「質感の妙」「親和性と意外性に富んだ色の組み合わせ」などを背景に常識にとらわれずに躊躇なく
直観的に素材を選び取ること、そのものなのです。
妥協のない仕上げと完成度の高さ
下田直子さんの作品が感動を呼ぶのは、そのデザインもさることながら、細部の完成度の高さによるところが大きいと言えます。
2014年から18年まで「美術館えきKYOTO」を皮切りに日本橋三越、博多阪急など4か所で開催された展覧会には、延べ7万人がその作品の秘密を一目見ようと集まりました。
誠実さやまじめさといった生来の性格から立ち上る律儀な仕上がり、作品のディテイルは、細やかな目配りと、美しい造形に満ち溢れています。それは作家自身が目指した最終形に最後まで妥協しないという強い思いの賜物なのです。
目指す形を保持するための厚さを使い分けた繊細な芯地ワーク、刺しゅうによるボリューム感を表現するため何回も刺し込みを繰り返すなど、さながら彫刻作品のような立体的完成度を求めていきます。
過去へのリスペクトと新しい組み合わせ
下田さんのアトリエは、それ自体膨大なイメージソースです。中世のレースを集めたエッチング図版、古い陶磁器に描かれた模様、最新のトレンドを感じるファッション写真、古いアンティークパーツそのものなどからその作品にふさわしい匂いを抽出してデザインに発展させます。
自身はよく「私が発明したオリジナルデザインなんてありません」と謙虚に口にします。それは過去の人間が生み出した様々なテキスタイルやかたち、技術、デザインへのリスペクトの言葉です。
先人が蓄積してきた膨大なアーカイブからインスピレーションを受け、独特の感性で的確な素材、色、技術を振り当てて、新しい組み合わせをつくる。その結果が、下田オリジナルとなるのでしょう。
今回のCRAFTING「下田直子の手芸レッスン」は、彼女の神髄を詰めこんだオリジナル作品4点を完全に仕上げるためのプレミアムキットです。
作家自身のセレクトによる妥協のない材料セットと、わかりやすいイラスト解説のレッスンシート、バンドルされたムービーは自身による作品解説をはじめ、アトリエの雰囲気を伝えるイメージクリップとポイントを押えたテクニック動画で構成されています。
一針一針と進めていくうちに下田直子を追体験できる、今までにない完璧なパッケージをお楽しみください。
『毛糸だま』元編集長 森岡圭介